埼玉選挙区の「維新」候補者の選挙公報が、専ら共産党への論難に特化する一方で自党の政策を具体的に述べず、結果として共産党への論難が自党へ跳ね返る内容となっているという、政治文書としては恥ずかしくて読むに耐えず、しかし有権者を馬鹿にしていると取られても仕方のない内容であることをここまでに論じた。
先にすでに、「維新」が論難する共産党との間で選挙公報を比較したが、上記の印象が、「維新」の埼玉以外の選挙区候補者の選挙公報と比較しても際立ってしまう、というのがここからの話である。
選挙公報上での「維新」による共産党攻撃は、全国的に共通した戦術だったのではなく、埼玉の「維新」のみが採用した独自の戦術であり、しかもそれは今年初めて採用した戦術だった、というのが以下の結論である。
2019年8月15日木曜日
2019年8月13日火曜日
2019年7月、事実に反する「維新」の選挙公報が届く(後編)
前編では、「維新」の選挙公報を筆者がどう読んだかを微に入り細に入り記した。
この後編では、筆者以外の読み手が「維新」のこの選挙公報をどう読んだか?をネット上から集め、記すことにする。
2019年8月12日月曜日
2019年7月、事実に反する「維新」の選挙公報が届く(前編)
紙に印刷されて世帯ごとに配布される選挙公報は、有権者の側が受動的であっても、また候補者の側で選挙期間中、独自の配布が許される宣伝物の配布に消極的であっても、全候補者の政見が記されて全有権者に届けられる。有権者の側が能動的でなくとも政見を入手できる点において、情報通信技術が大きく発達したにもかかわらず同じ役割を果たせる他の媒体が登場しない、という理由で今なお、有権者の判断にとって重要な資料である。
だから、選挙公報は全有権者を対象にしている前提で、候補者が自己の政見・政策の主張と、他候補の批判とを公明正大にやらなければ、選挙公報という制度自体の存在意義を貶めることにさえつながりかねない。
2019年参議院選挙埼玉選挙区の選挙公報が我が家に届いたのは、選挙が公示されてから最初の土曜日だったように記憶している。紙面を開いてみて、「またこの表か」、とうんざりしたのが、「維新」の候補の政見である。
しかしうんざりしたのはこの表だけでなかったことに読んでいって気づいた。「有権者をなめてるのか!」と思わざるを得なかった。右半分が縦書き、左半分が横書きで記されているので、ともかく右から順番に読んでいった。
だから、選挙公報は全有権者を対象にしている前提で、候補者が自己の政見・政策の主張と、他候補の批判とを公明正大にやらなければ、選挙公報という制度自体の存在意義を貶めることにさえつながりかねない。
2019年参議院選挙埼玉選挙区の選挙公報が我が家に届いたのは、選挙が公示されてから最初の土曜日だったように記憶している。紙面を開いてみて、「またこの表か」、とうんざりしたのが、「維新」の候補の政見である。
しかしうんざりしたのはこの表だけでなかったことに読んでいって気づいた。「有権者をなめてるのか!」と思わざるを得なかった。右半分が縦書き、左半分が横書きで記されているので、ともかく右から順番に読んでいった。
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